セミナー情報

《★オススメ!》 2021.10.26【セミナー】坂崎・長嶺・久保田の 地域史が出版できて思うこと

第3回 定年後のライフプランセミナー

坂崎・長嶺・久保田の地域史が出版できて思うこと

ご自身が住むまちの歴史を紐解いてみませんか?地域史編纂の意味をお話しします。

講師:坂崎・長嶺・久保田地域史編集委員会 専門部会長 黒柳 孝夫 氏

國學院大学文学部卒。愛知大学文学専攻科修了、同大学短期大学部教授を経て短期大学部長に。愛知大学常務理事・副学長、同大学国際交流センター所長などを歴任。現在、愛知大学名誉教授。主な著書に「明日香井和歌集その他解題」「古典和歌必携」「紹之百首・尊海百首その他解題」「和歌大辞典」「中世歌人の歌意・鑑賞」「日本名歌集成」「竹風和歌抄」。共編著として「新編国歌大観(第7巻)」「歌ことば歌枕大辞典」「名作の舞台、旧常磐館・蒲郡ホテル」「語り継ぐ日本の文化」「俊成の和歌と蒲郡」「語り継ぐ日本の歴史と文学」などがある。

日時:10月26日(火)13:30〜15:00
会場:幸田町シニア・シルバー世代サポートセンター
愛知県幸田所大字坂崎字道坂27-1
受講料:無料

お申し込み・お問い合わせはお電話にて
TEL:0564-73-0050

幸田町シニア・シルバー世代サポートセンター
(幸田町シニア・シルバー世代サポート推進協議会事務局)
愛知県額田郡幸田町大字坂崎字道坂27-1
業務時間:月曜日から金曜日 午前8時30分〜午後5時15分(土日祝日休み)

 

セミナーレポート(報告)

地域を振り返り、未来を展望する

幸田町北部の坂崎、長嶺、久保田地区は現在合わせて約1000戸、岡崎市に隣接しています。今年3月にこの地の地域史「坂崎・長嶺・久保田 この郷をゆく」が発刊されました。「坂崎郷土史」が編纂されて以来、約40年ぶりのことだそうです。

今回のセミナーでは編集委員会の執筆・写真担当の専門部会長である黒柳孝夫さん(愛知大学名誉教授)を講師に招き、地域史編纂の意義や制作の裏話などを伺いました。

地域史には、かつて三河屈指の巨大池であった菱池沼の開発、相見川の開鑿、耕地整理は、重機のない時代には大変な努力が必要であったこと、松平家に近くで活躍した三河武士の中にご当地出身者がいたこと、などが紹介されているが、編集にあたっては「専門性を大切にしながらも、写真を多用し、手軽に親しみやすく郷土を知ることが主眼に置かれた」(黒柳さん)といいます。

経費を節約するために、編集者自身による手作りレイアウトだったり、原稿集めも大変だったようです。他の編集者からは「大変だったが、私が死んでも名前が残る」との声も印象的でした。

黒柳さんは「新型コロナウイルス感染症の拡大を経て、我々のライフスタイルや価値観はどう変化したのか、これからどのような地域づくりが望ましいのか、地域史づくりはそれを考える格好の機会となる。誰かに言われて、ではなく、ぜひ皆さんもそれぞれの地域で取り組んでみてほしい」と語りました。

「機能優先の都会では無駄を排除することで余裕を失っていく。無駄や意味のないものが身近にあってこそバランスがとれるのでは」「坂崎は適度な田舎で、自然に共感・共生がしやすい」「この地域にふさわしい家並み、木々の植生を」「歴史や文化を大切にしつつ、暮らしの風景を考えたい」「ヨーロッパの農村のような絵になる道路があっても良いのでは」など、セミナー終了後も様々な問題提起や活発な議論が行われました。

[配布資料より]

坂崎・長嶺・久保田の地域史が出版できて思うこと
地域史編集委員会専門部会長 黒柳孝夫

地域史「坂崎・長嶺・久保田 この郷をゆく」の発刊概要

○坂崎地区(800戸)、長嶺(85戸)、久保田(116戸)は幸田町の北部に位置し、岡崎市福岡町・上地町に隣接した坂崎小学校区にあり、自然環境に恵まれた田園地域である。

○発刊の目的
菱池沼の開発、明治の相見川の開さく耕地整理など地域の事業は、その陰で先人たちの多くの努力や理解によって成り立っている。一住民として、そのことを知ることは大切なことではないか。
地域の自然や歴史・生活・民俗を知ることは地域文化を豊かにすること。若い世代の方々や新たに転入された人たちにもこの地域に関心をもち、好きになって頂く機会になるのではと考えた。
地域を知ることは、地域を活かすこと。これからの地域活動に新たな活力や豊かなコミュニティー活動を生み出す一助になると考えた。

○「自分たちの手で郷土史をつくろう」と約2年がかりで大津準一さん(103歳)に監修をお願いし、地元の有志を中心に18名が資料の調査と写真撮影・執筆にあたった。

○意義深いことは、40年前に坂崎地区の「坂崎郷土史」を刊行したが、今回は新資料も加えながら新たに長嶺・久保田地区も加わった三地区の地域史が発刊できたこと。

○「坂崎・長嶺・久保田 この郷をゆく」はA5判、カバー付、348ページ。
内容は古代・中世期、戦国期・江戸期の郷土の人々、江戸期、明治・大正期、昭和・現代、郷土の民俗、郷土の自然で構成され、歴史年表が付いている。

○編集方針は、今までの地域史は、とかく専門的で市史や町史に似て活字も多く、誰もが気軽に手にとれるものではなかった。そこで各ページに写真や図を多用しようと考えた。
「専門性も大切にしながら、もっと手軽に、親しみやすく郷土を知る」そんな地域史にしたかった。

○主な特色は、かつて三河屈指の巨大池であった菱池沼開発の歴史。5世紀の青塚(前方後円墳)、鏡塚、四ッ塚などの古墳群がかつて26基点在した古代。京ケ峯山麓で灰軸陶器や山茶碗が盛んに焼かれ、31基の窯跡が確認されている鎌倉・室町時代。戦国・江戸時代に入ると松平信光の従弟で浄土宗西山深草派の中心人物の一人の西方寺開山教然良頓上人。
松平氏の惣家、岩津松平氏の祖、松平信光の長男で親長と称し、蓮如の高弟で「帖外御文」に二度も登場する後の円行寺の開祖岩津修理亮浄光。駿府(静岡県)において今川家の人質となった竹千代(家康)の養育に8歳から16歳まであたった於大の母で家康の祖母の源応尼(げんおうに)の甥、大橋義重、若き日、岡崎城で家康の長男信康の守役を務め、晩年犬山城主で総指揮官として名古屋城を築城し、幼い8男義直の守役を務めた平岩親吉、三河三奉行の一人で後に駿河(沼津)の興国寺城主になった天野康景、これらの人々は皆若き日、小姓として人質になった竹千代に従った人達である。その後三河一向一換が勃発し、徳川家康軍と真宗門徒が合戦を交えたが、一揆方で土呂(岡崎市福岡町)本宗寺に立て龍もり家康軍に対抗した石川一族、佐橋一族などもこの地区の出身者である。「三河物語」で三河武士の意地を説いた大久保彦左衛門忠教の知行地でもあり、陣屋が置かれていた。今回こういった地域ゆかりの人々の足跡が系図と共に紹介できたのは意義深い。また、地域で話された懐かしい言葉「方言」が記録されたのも大きな収穫であった。

※追記地域史を書き終えて、思うこと

コロナが拡大し始めた昨年春から、ライフスタイルや価値観がどう変化したか、これからどういった地域づくりが望ましいか。坂崎学区もそれを考える格好の機会である。
食べていくこと、生活の場をもつこと、仕事が大切であるという認識は変わらないが、生きていくことだけを考えるのではなく、生きていることを考える時代に入っている。そうなった場合には別の生活様式が生まれてくるはず。

便利・安全・保障の意味を考えること。安全・安心な社会の実現というが、その実像をイメージすること。これらは何を基準にして、何を求めて生まれてきた価値観かを考えることは重要。

名古屋圏の拡大を発展と考える発想

愛知県は名古屋を中心にモノの基準や価値を考える傾向がある。たとえば、東京一極集中が緩和し従来よりもUターン就職がしやすくなる。東京圏への若者の流出に歯止めがかかり、名古屋圏全体が拡大していくにちがいないという発想。ただし、全国区では名古屋の魅力度は低い。頭に浮かぶことがある。長い歴史をもつ京都で話題になったが、京都には洛中、洛外がある。洛外は同じ京都でも決して洛中にはなれないというもの。
本来、三河と尾張では人の気風が違う。尾張は商人、三河は農民のまちである。三河で生産したものをいつの間にか尾張の名産にしてしまう傾向がある。三河人は尾張に出かけるが、尾張の人が三河に来ることはあまり無い。

まちづくり、地域づくりには哲学が必要 一他所のまちと同じ風景を求める(モノマネ)のではなく、たとえば「坂崎らしさ」をどう生み出すかがカギになる。坂崎学区の歴史的背景や、そこに暮らす人たちの地域に対する期待や特徴を分析し、意見を出しあい、画一的なまちにならないよう留意することが大切。

機能優先 一無駄なものを意味の無いものと考える考え方

都市化 一人工環境 都市化はその典型で、道路もビルも、都市の人工物は人間の脳が考え出したもので、進めば進むほど、周囲は人工物しかなくなり、逆にその物に閉じ込められてしまう。都会のマンション暮らしを想像する。部屋の中の物、目につくものはすべて意味がある。意味のないものは「断捨離」する。こういった生活に慣れきってしまうと、やがて意味の無いものの存在が許せなくなってしまう。

無駄なもの、意味の無いものは生きていることに余裕を生み出す

コロナ禍にあって人間関係の大切さ距離感が問われている。一方で、余裕を生み出す第一歩は自然への共感・共生ではないか。幸い坂崎学区は適度な田舎で、人と人との距離も密になりにくい。敷地も都会に比べれば広く、周辺には田畑が広がっている。農作業もでき適度な収穫もできる。ジョギングや散歩もできる。都会生活が一番魅力のある場所だと思う人もあるが、人間関係だけの街は魅力を感じない。コロナ禍にあっても暇な時は庭に出て草取りができる。まさに四季の移ろいを五感で感じることのできる土地柄である。これこそ無駄や意味の無いものが身近にあるバランスのとれた暮らしと言える。
これも「生きていること」を考えることに繋がる。

美しい鄙(ひな)をつくろう

新しい施設の建設や企業誘致をすすめながら、坂崎学区を緑豊かな美しいまち、史跡の保存、美しい家並みの創出。そのためには、この地域にふさわしい木々の植生とは何か、歴史や文化を大切にし、望ましい暮らしの風景とは何かを皆で話しあうこと。一例をあげれば、坂崎学区にも一箇所くらい車道自転車道緑地帯・歩道が確保され、巨樹が枝を広げ、暑い夏にも木陰を作ってくれる日本版ヨーロッパの農村のような絵になる道路があってもいいのでは。

以上

閑談余語

[声]

人間バタバタして過ごしていると
何の声もきこえてこなくなる
風の声
石の声
木の声
川の声
山の声
大地の声
地球の声
星星の声

みんな声を出して
呼びかけているのに
何の声も耳に届かず
ただカサカサと生きている
そういう
淋しさ
虚しさ
ふと感じませんか

[一番いい人]

何も知らない人が
一番いい
知っても忘れてしまった人が
一番いい
禅の話しもいらぬ
念仏の話しもいらぬ
ただお茶を飲みながら
鳥の声を聞いたり
行く雲を仰いだり
花の話しなどして帰ってゆく人が
一番いい

別れたあとがさわやかで
過ぎた時間が
少しも惜しくない人が
一番いい

[石の声]

しっかりしろ
しんみん
そううしろから
声をかけるのがいる
ふりむくと
何万年も
ひとところに
じっとしている
石だった

[念ずれば花ひらく]

念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

※「念」というのは念仏の念ではない。「思念」という言葉が辞書にあるが念 (おも)うということ。「思
う」よりも響きが強い。
「一心に生きる、一念に生きる」、念願の念である。

坂村真民(1909〜2006)能本県に生まれる。1946年、四国に移り住み、詩作に励んだ。
日本の仏教詩人。遊行僧一遍(いっぺん)の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。詩集『念ずれば花ひらく』は有名。詩碑は全国·海外に663を数える。

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