《★★オススメ!》2021.11.12【セミナー】おばあちゃんの駄菓子屋さん
第4回起業セミナー
おばあちゃんの駄菓子屋さん
70過ぎのおばあちゃんが駄菓子屋を始めるという。
過労や不調で早期退職したのち、聴力を失い、癌を患った。静かに、だが確実に進行する認知症の夫の面倒をみながら、コロナを耐えていた最中。
おばあちゃんは息子に「駄菓子屋をやりたい」と相談した。
「やめたほうがいい」「うまくいかない」。「ぴしゃっと言われて、しまいだわ」と、諦める理由になるかもと聞いてみた。
思いがけないことに「できることから始めたら?」と返ってきた。
誰も住んでいない離れを使い、お金をかけずに友達と2人で手づくりのお店にする。
2人とも元保育士であり、地域の子どもが安全に過ごせる場を作りたかったという。
決まるとどんどん進む。時間があるぶん早かった。準備にとりかかると、たくさんの人が応援してくれる。長く保育士であったことも良い影響をもたらした。
駄菓子屋さんを見に行くと、親切に情報やアドバイスをくれた。卸さんも協力的で、耳が遠い人に熱心に話してくれた。「応援したい」と絵を描いてくれた人もいた。その多くもまたおばあちゃんである。
近隣の人に挨拶にいくと、「ワクチン終わったら、年寄りが見に行ってもかまわないかやあ?」と言われて、改めてみんなが家に閉じこもっていることを知った。
ゴーゴー(田舎では乳母車をそう呼ぶ)を押して行って、子どもたちを見たいという。かつて「遠巻きに子どもを眺める」というささやかな暮らしの中の幸せが世の中に確かにあった。今はそれが失われている。
実際に始めてみてわかることがたくさんある。いや、始めてみなければ何もわからない。駄菓子屋のことさえ、誰も正確には知らなかった。
「子どもが来てくれるだろうか?」という不安は、「来てほしい」というみんなの期待に変わった。心持ちが違うのは、関わっている人の表情に表れている。人のつながりは最初の不安を吹き消しながら、ゆっくり波紋のように広がっている。
商売がうまくいくかは二の次でいい。今では、誰もがそう思っている。
講師:玉野総合コンサルタント株式会社 事業戦略室 伊藤 嘉浩
愛知県みよし市出身。自動車部品製造、経済産業省、出版社、政治家秘書、シンクタンク、宇宙ベンチャーを経て現職。駄菓子屋の息子
日時:11月12日(金)13:30〜15:00
会場:幸田町シニア・シルバー世代サポートセンター
愛知県幸田所大字坂崎字道坂27-1
受講料:無料
お申し込み・お問い合わせはお電話にて
TEL:0564-73-0050
幸田町シニア・シルバー世代サポートセンター
(幸田町シニア・シルバー世代サポート推進協議会事務局)
愛知県額田郡幸田町大字坂崎字道坂27-1
業務時間:月曜日から金曜日 午前8時30分〜午後5時15分(土日祝日休み)
やってみてよかった
今回の講師、伊藤敬子さんは御歳71歳。今年7月に駄菓子屋「ゆめちゃん」の経営者になりました。70歳になった時、「何かをしなければ」と思ったのだそうです。
子ども好きで保育士だった伊藤さんですが、業務量の多さから体調を崩し、泣く泣く早期退職。その後がんとの闘病、難聴、両親の介護、義父の認知症など、ご苦労をされたようです。
何気なく見ていたテレビ番組で駄菓子屋さんのことを知り「これだ」と思われたと言います。
息子さんに相談したところ、「反対されると思っていたが、予想に反して『やれることからやってみたら』と言われたので、やる気が出た。仕入れ先を紹介してくれたり、むしろ応援してくれて、おかげで挫折せずに準備を進められた」のだとか。
友人らの協力を得て、農家であった自宅を改装、看板や暖簾も手作りで用意し、どうせやるならと記憶に残る7月7日に「ゆめちゃん」は開店しました。くじを作ったり、忙しいお母さんのために袋詰めを作ったり工夫をしているそうです。
伊藤さんは「今の子どもたちは、本当に忙しくて遊ぶ時間がない。100円玉を握りしめて、自転車でやってくる子どもたちは、頭の中で何を買うか計算し、お友だちと相談して、遊びながら自然に社会性を身につけているように見える。お母さんとのコミュニケーションも微笑ましいし、子どもたちとの会話からはパワーをもらえるので、思い切ってやってみてよかった。今後は隣の部屋を漫画部屋として解放して、体力の続く限りやっていきたい」と「ゆめ」を語ります。
当センターは、このような「うまく行くかどうかわからないがやってみたい」「儲かるかどうかは二の次」というアクティブシニアの創業・起業も応援しています。「何から始めたらいいかわからない」という方、ぜひご相談くださいね。
伊藤さんの言葉から
「私はみよし市に住んでいます。隣にいるのは息子です。みよし市の農家ですので、こちらの風景とよく似ています」
「子ども好きで57歳まで保育士を続けました。当時の三好町はある大企業から24時間保育の要請を受けました。私は園長として対応しましたが、とても業務量が多く精神的に耐えられなくなりました。また、保育士の仕事は現場が中心ですが、報告書等を手書きから当時はワープロで作成になり、随分と悩みました。まだ続けたかったのですが、これ以上続けると自分の体を壊すと思い辞めざるを得なくなりました」
「私は退職後、自身の病気・直腸ガンになりました。内視鏡での手術ができない状態でしたが幸いに乗り越えました。次は、難聴です。父が自宅で倒れて出血していた時、たぶん声を出して助けを呼んだと思いますが、聞こえず知らなかったこともあり、両耳が聞こえなくなってしまう絶望感を感じたが現在は左耳のみ人工内耳となって、なんとか聞こえています。そうこうしているうちに両親の自宅での介護が始まり、大変なことばかりでした。認知症の義父から罵声を浴びせられたり、けっ飛ばされたりしましたが、施設に預けることはしたくなかったので自宅で13年介護し看取りました」
「70歳になったときに何かをしなければと思った。喫茶店が好きなのでやろうかと思ったが、肉体的に無理なのでやめました。そこで、何気なくテレビを見ていたら、駄菓子屋の特集をやっていました。『これだ』と思いました。それからは、駄菓子屋のことばかり考えていました。息子に相談して、『やめたら』と言われたらやめようと思っていましたが、予想に反して『できることから始めたら』と言われたのでやる気が出ました。そして、息子が仕入れ先を紹介してくれるなど応援をしてくれました。それがなかったら挫折していたかもしれません」
「オープンするために問屋さんに行きました。問屋さんには色とりどりのさまざまなお菓子がありどれがいいのか迷いましたが、私にとって楽しい選択でした。問屋さんからも早くやりなさいよと後を押されて、どうせオープンするには忘れない日がいいと思い7月7日にしました。看板も私の友人がボランティアにて手作りで「だがしや ゆめちゃん」と書き、手作りの暖簾も用意しました。お店の前に飾ったときは晴れがましく思いました」
「今の子どもたちは本当に忙しく遊ぶ時間もありません。子どもたちが自転車に乗ってやってきて、自転車をほったらかしにしながら店に入ってきたときは嬉しかったです。子どもたちはたいてい100円の買い物をします。頭の中で、これとこれと買うといくらになると計算しています。子供たちがだんだんと自立していく姿がとてもうれしく思います。子どもたちが相談しあって買っている姿は、先輩、後輩の立場をよく表しており、自然と社会勉強をしています」
「ご多忙なお母さん用にゆめちゃん駄菓子パッケージを用意しています。お母さんの買い物の時間短縮とお店のPRを目的としております。ラベルのデザインにもこころを配りました」
「やってみてよかったです。子どもたちが来てくれて、子どもたちと会話できるのは、子どもたちからパワーをもらいます。また、地域で子どもたちのふれあいの場ができたことや、お母さんもやってきてのふれあいの場はとても和やかです。やってみて本当に良かったと思っています。また、大きな病気をし、今も辛いですが、あの時『これ以上悪くなることはないだろう』と覚悟を決めて取り組めたことを今もほこりに思います」
「写真でもあるように若いお母さんと一緒に来られて、何を買うのか楽しそうに話していました。子どもたちは100円の買い物をすると余分におまけをあげたり、子どもたちが喜ぶようにくじを入れておきました。買ったお菓子をその場で食べ、当たりくじがでると大喜びで『おばちゃん、当たったよ』と言ってくる姿はとても可愛いです。このお店を、体の続く限りやっていきたいと思っています」
「今後の活動として、駄菓子屋の隣の部屋を改造し、マンガ部屋にし、子どもたちに喜んでもらいたいと考えています」